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2022年に還暦を迎えた際に富山市医師会に投稿した文章です。ぜひお読みください。

[2023.12.03]

還暦を迎えて思うこと おくむらクリニック 奥村昌央

先日、本棚の片付けをしていたら自分の小学校と中学校の通知表が出てきた。小学の時は5段階評価で大概4が1-2個、2も1-2個で他はすべて3であった。中学1年の1学期の通知表は10段階で英語が5,数学6,体育が4で総合6であった。転機が訪れたのは、中学2年の冬だった。テレビで大阪の入江塾の中学受験のドキュメンタリー番組をやっていた。中学生が灘やラ・サールを目指し畳敷きの広間で長机の上で真剣に勉強に励んでいる姿があった。塾長の入江伸先生は大変恐ろしく、間違えると拳骨をかましていた。同じ中学生でもこれほど勉強している連中がいるのかと驚愕した。その頃学校から作文の課題があり、(自分は勉強の鬼になりたい)というタイトルで、文章を書いた。それを担任が皆の前で読み上げた。教室中が爆笑の渦に包まれ自分は恥ずかしくて下を向いていた。中学3年の春休みから本格的に勉強を始め成績も伸び、高岡市の進学校に合格できた。

大学入試は56豪雪による低倍率に助けられ富山医科薬科大学に入学し、部活は山岳部を選んだが新設大学で歴史が浅く、山岳部も伝統がなかった。より高度な技術を磨こうと、大学3年時に上市町の山岳会に入った。ほぼマンツーマンで指導を受け、厳冬期の剱岳に登頂したり、剱岳でも悪場として知られる、池ノ谷の岩場に足繫く通った。大学5年の夏に当時最難関のルートとされていた源次郎尾根Ⅰ峰成城大ルートを完登した。心身ともに疲弊する山行が多かったが極限下でのサバイバルを学んだ。医者となって大きな手術に臨む前の心境は困難な岩壁に登る前と酷似し、また手術手技も登攀動作に相通じていることを悟った。

大学6年の春に剱岳の北方稜線に挑んだが、途中の小窓という地点で腹痛が生じた。自分は尿管結石症を疑い断腸の思いで剱岳の登頂は諦め下山した。ちょうどBSTのローテーション中であった泌尿器科で尿管結石と診断されそのまま入院した。それが縁で泌尿器科に入局することになったが剱岳が泌尿器科医への進路を導いてくれたと信じている。

大学病院を出て市中病院勤務となり最後は黒部市で泌尿器科医として単身赴任していたが、家内から独立をすすめられ、55歳で開業を決めた。経営や人事で悩むことが多く、看護師1人と家内の3人でやりくりしたこともあるが、その際、家内は事務や看護師業務を掛け持ちしてくれた。今年、還暦になるが、今まで泌尿器科中心に勉強しており、偏った知識しかなく、内科的には学ぶべきことが大変多く、まるで宇宙空間を見るようである。最近は、NHKのきょうの健康などの医療に関する番組はかかさず、見るようにしており、時間の許す限り基幹病院の地域連携の会にも出席するように努めている。還暦を迎えるにあたり、中学2の時に奮起したときの気持ちを思い起こし、ギアを入れ替え、頑張りたいと思う。これからも諸先生方のご指導・ご鞭撻をお願い申し上げます。

 

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